どん底だった僕が、 ペン一本で救われた話
真っ暗な部屋で目覚めた夜
3歳になる前のこと。
ある夜、目が覚めた。あたりを見回すと、いつも一緒に眠っているはずの父と母がいない。
真っ暗な部屋。誰もいない静寂。
僕はパニックになった。気づいたら、自分で開けたことのなかった玄関のカギを開け、アパートの3階から階段を駆け降りて、大泣きしながら道路に飛び出していた。
2階に住んでいたおばちゃんが「どうしたの!?」と声をかけてくれて、両親が帰ってくるまで保護してもらった。
なぜ、この記憶だけがこれほど鮮明に残っているのか。
心理学を学んで、ようやく自分なりの答えが見つかった。
「母から引き離される」——それは、小さく無力な子どもにとって、生存そのものに関わる恐怖だったのだ。
「お兄ちゃんなんだから」
3歳のときに弟が生まれた。
母は生まれたての弟につきっきりになった。祖母は僕を大事にしてくれていた。けれど、母の視線は、もう僕には向いていなかった。
「お兄ちゃんなんだから」
その言葉が、いまでも胸に刺さったまま残っている。
自分でも気づかないうちに、僕の中には「私は愛されていない」という思い込みが、深く、深く根を下ろしていった。
夕食の味噌汁
南青山のアパートの1階で、父と母はスーパーマーケット「アコー」を営んでいた。
ある夜のこと。夕飯で、なかなかご飯を食べない僕を見て、父はキレた。
そして、味噌汁を僕の頭からかけた。
母に連れられてお風呂場にいき、泣きながらシャワーを浴びたのを覚えている。
父の怒りの理由はわからなかった。仕事で疲れていたのかもしれない。僕にはわからない、抱えきれない悩みを抱えていたのかもしれない。子どもだった僕には、それを理解しようとする力がなかった。
でも、ほかの記憶もある。
3歳の頃、父が弟が生まれる病院の近くにあったおもちゃ屋で銀玉鉄砲を買ってくれたとき。とてもうれしかった。
バス旅行で車酔いしたとき、父はバスを止めて僕と一緒に降りて、手をつないで歩いてくれた。
人間は複雑だ。光と影がある。優しさと暴力が同居している。
けれど、幼い僕の心には「怖い」「もう傷つきたくない」という感覚だけが刻まれていった。
いじめられる側から、いじめる側へ
小学2年生のときに転校した。
人になじめず、いじめられた。フケが出ることを指摘され、惨めな気持ちになった。羽根くんという子が「シャンプーの結晶だよ」と寄り添ってくれたのに、恥ずかしくて、その優しい手を拒んでしまった。
いじめられる痛みを知っていたはずなのに、中学・高校では一転して、いじめる側になった。
自分が傷つくのが怖かったからだ。傷つけられる前に、傷つける。そうすれば、自分は守られると思っていた。
自分の保身のために、誰かを守ろうとしなかった。その後悔は、いまも消えない。
承認欲求の塊
「私は愛されていない」という傷から生まれた承認欲求は、大人になっても消えなかった。むしろ、どんどん膨らんでいった。
恋愛でも同じだった。好きな人に振り向いてほしくて執着し、返信が来ない妄想に狂いそうになり、携帯電話を壁に投げつけたこともある。
結婚してからも、それは変わらなかった。
「なぜ認めてくれない。俺だって大変なんだ」
ある日、妻との言い合いで怒りが抑えられず、本を投げ、クローゼットの扉を飛び蹴りで破壊した。
自己防衛の塊だった。
離婚と断絶
2016年3月に11年勤めた会社を退職した。
次の仕事は決まっておらず、無計画で無謀な行動だった。
その翌月、妻に「別れて欲しい」と告げた。
1年後、離婚が成立した。
調停の場で知ったのは、長男が僕の心無いブログを読んで泣いていたということ。次男が「勝手すぎる!」と大声で叫びながら泣いていたということ。
長男と次男とは、いまも会うことができずにいる。
僕は家族を傷つけ、最後には壊してしまった。
どん底だった。なにもかもうまくいかない。自分が何者かもわからない。この先どうなるのか、見当もつかない。
銀行口座には数万円しか残らない日々。不安と恐怖で眠れない夜。
「俺の人生って、いったいなんなんだろう」そう思った。
ペンを走らせた夜
最初に書いたのは、こんな問いだった。
「なぜ自分はこんなにも苦しいのか?」
ノートにペンを走らせる。頭の中でグルグル回っていた「声」が、紙の上に出た瞬間、不思議なことが起こった。
客観的に見えるようになったのだ。
「ああ、俺はこんなことを思っていたのか」「こんな怒りを抱えていたのか」「こんなに寂しかったのか」
書くことで初めて、自分の中に隠れていた「ほんとうの声」が見えた。
量子力学では、観測することで現実が確定すると言われている。
つまり、書くことで、目に見えない心の動きが「現実」になる。
振り返ってみればそれは、自分の内側に眠っていた影や光に、ちゃんと名前をつけてあげる行為でもあった。
鳴かず飛ばずの2年半
2016年7月、独立に失敗した僕は、すがる思いである古本の買取販売会社にアルバイトとして入社。36歳でアルバイトからスタート。正直、惨めだった。
そこは100万冊以上の本が蓄えられた倉庫だった。毎日2万冊の本が全国から届き、1万冊が出荷されている。
「日本にはこんなにたくさんの本が存在しているのか...」
広大な本の宇宙に触れながら、僕はひたすら本を読み、書き続けた。
会社員のかたわら、ブログを更新し続け、カレーのキッチンカーやコーヒー豆の販売、子ども向けのロボット教室の運営など、独立に向けてさまざまな個人事業にチャレンジした。
どれもなかなか軌道に乗らず、社長に教えてもらってはじめた本紹介YouTubeも、2年半ほとんど誰にも見られなかった。それでも、毎週1本、動画を公開し続けた。
いま思うと、なぜこんなにたくさんのことをこなせたのか、続けられたのか、自分でもわからない。
そして、そのあいだも、書くことを止めなかった。
クォンタムジャンプ
そして、あるとき突然、それは起きた。
量子力学や脳科学・心理学の知識に基づく自己啓発本を紹介したところ、急激に再生回数とチャンネル登録者数が伸び始めた。
登録者はあっという間に10万人を超えた。念願だった独立を果たし、いまは好きなことを仕事にして生きている。
意図してそうなったわけではない。狙ったわけでもない。
ただ、振り返ってみると、ずっと変わらずにやり続けていたことがあった。
それは「書く」ことだった。
僕はペン一本で救われました
大げさではなく、本当にそう思っています。
書くことで、自分の中の「ほんとうの声」に出会えました。
書くことで、見て見ぬふりをしていた傷と向き合えました。
書くことで、いつの間にか現実が変わっていきました。
もしあなたがいま、漠然とした不安を抱えていたり、なんとなく苦しかったり、何かがうまくいっていない気がするなら——
試しに、「今日感じたこと」を3行だけ書いてみませんか?
良いことじゃなくていいんです。誰にも見せなくていいんです。
ただ、自分のために。
「いま」を生きる
以前の僕は、不幸のどん底でした。でもそれは、自分の脳がつくりだしていたんです。
いつもいつでも、速くやらなければ、人に気に入ってもらわなければ、そうしなければこの世界で生きてゆけない!というエゴの声が頭の中で鳴り響き、ほんとうに大切にしたいことが見えなくなっていました。
家族や子どもと過ごすかけがえのない「いま」という時間を生きることができませんでした。
ただ生きているだけでも素晴らしいはずの毎日を、感じることすらできませんでした。
でもいまは違います。「書く」力のおかげで、ほんとうに大切にしたいことがわかったから。「いま」を生きるコツがわかったからです。
離婚したことで、子どもたちとの時間は失われてしまいました。
もっと早くに、自分の大切にしたいことがわかっていたら。もっと早く、書く力に目覚めていたら。
正直、そんな風に思うこともあります。
起こることはすべて正しい。だから、前を向いて歩いていけます。
価値基準が一変したおかげで、いままでないがしろにしてきた両親や兄弟と過ごす時間の大切さがわかりました。そして、その大切な時間を取り戻すことができました。
物語を生きる
僕はいま、こう思っています。人生は「攻略」するものではなく「享受」するもの。
すべては無意識が起こしています。僕は、その無意識を羅針盤にして、自分の物語を紡いでいきます。
過去の自分を許し、ときにまた間違い、過ちをおかし、それでも歩き続けます。
表面を見るだけでは人の心はわからないからこそ、知りたいと願い、書き続けます。
僕の人生を変えたのは、「書く」という魔法でした。紙とペンのおかげで、僕はどん底から救われました。
そして、その魔法は、誰にでも使えるものです。きっと、あなたにも。
僕と一緒に、書くことで自分に出会う旅を始めてみませんか?